その日、( 1995年4月25日 )
上祐 史浩やオウム信者達に対して、
麻原彰晃が偽キリストであることがわかるように、
聖書の預言の個所を数か所書き纏めた手紙を渡しに行きました。

そして青山本部の近くから電話をかけて、「もうすぐ着きます。」と言うと、
石田は、「 お待ちしています。気をつけてお越し下さい。」と答えておいて、
青山本部のインターホンを押すと、知らない女信者がでて、完全に惚けて、
「 貴方のことは知りません。帰って下さい。」と言ってドアを開けませんでした。

その後、車道も歩道も溢れるほどのマスコミに取り囲まれた時に、
私の背後から、ひとりの女性アナウンサーが肩をトントンと叩いてきて、
「あなたは誰なんですか!」と尋ねてきたので、「 さわるな!。言わない!。」と答えて、
取り囲んでいる大群衆に対して、道を開けろ!。「 どけー!。」と、大声で怒鳴りつけました。

すると、マスコミの群衆は双方に分かれて綺麗に道を開けてくれたのです。
まるでモーセがエジプト脱出時に、水を割った時の光景が目に浮かぶような出来事でした。

私は、その群衆の真ん中を通って100メートル先に止めてある車ままでいくと、
今度は警察官たちが車の前にポールを立てて、私の車を発進させない状態でした。

私は車から降りて、そのポールを蹴り飛ばして帰ってきましたが、
その時の警察官たちも、私に指一本も触れることはありませんでした。

マスコミに対しては、「絶対にテレビで放送するなよ。」と言ったのですが、
フジテレビだけが、モザイクをかけて放送し、産経新聞だけに掲載されていました。


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